明智光秀の書状が見つかったからと言って本心は分からない

 

今まで、数学(算数)、英語についてをメインにブログを書いてきました。

実は塾長である私は、日本史、生物(進化)、等に興味があり、社会人になってから様々な書物を読んできました。

ですから今後これらのテーマについても時々、ブログに書いていきます。

まずは、9/12に新聞に載った記事から。

明智光秀が織田信長を討った本能寺の変(1582年)の動機を裏付けると思われる書状が見つかった。というものです。

本能寺の変が起きた理由について、過去様々なことが言われてきました。

・光秀の信長への恨みによる単独陰謀説
・家康/秀吉との共謀説
・朝廷からの暗殺依頼説

その他もあるかもしれません。

今回見つかった書状は、本能寺の変の10日後、反信長派の土豪・土橋重治に宛てられた書状で、

信長に京都を追われた将軍・足利義昭が近く京都に戻って来ることについて書いているそうです。

義昭との関係を復活させ、室町幕府再興を目指していた事が読み取れるそうです。

書状を読むだけではそのような解釈になるのでしょうが、本当に光秀が信長を討った理由はそうなのでしょうか。

ここからが持論です。

私たちの国は「日本」と言います。現在世界で一番多い、「日本共和国」とかにはなっていません。

有史以来、日本は今の天皇の祖先から今まで代々治めてきて、一度たりとも天皇の血筋が変わったことがありません。
(一応無かったことになっています。)

微妙な書き方です・・・。これについては、また後日書きます。

もし変わっていたら、中国が、・・隋、唐、宋、元、明、清、・・と変わったように国名が変わらなければいけません。

朝鮮も国王の系統(血筋)が変わると、新羅、高麗、朝鮮、のように国名が変わってきました。

すなわち、日本という国名(天武朝ころに決まったと言われている)以降、一度も血筋が変わっていないことを示しています。

天武朝から現在に至るまでの間に、実は天皇家を乗っ取って新たな国王になろうとした人物が二人いるのです。

一人が、室町幕府第3代将軍・足利義満、あの金閣寺を建てた将軍です。

もう一人が、織田信長なんです。

学校の教科書にはそのような記述がありませんが、最近の学説では有名です。

その二人とも非業の最期を遂げているのです。

義満は天皇家を乗っ取る最後もう一歩のところまで来て、急に病死している。(おそらく暗殺された)

信長ももし本能寺で死んでいなかったら、秀吉より先に天下を統一し、明に攻め入り、おそらく征服。

中国の統治は天皇家に任せ、日本は自分が治める予定にしていた。

上記二人とも、それを阻止したいおそらく朝廷の使者によって暗殺されたであろうことは明白です。


明智光秀が信長亡き後、自分が天下を収める気は毛頭なく、足利幕府を再興できれば良い。くらいの所だと思います。

でも本気で足利幕府を再興できるとは思っていなかったと思います。

ですから、今回の書状が見つかったからといって、それが本能寺の変の目的だったなんて考えるのはあまりにも短絡的だと思います。

まあ、私みたいな田舎の学習塾の単なる塾長のいう事なんかあてにならないと思われる方がほとんどだと思いますが。

今後もこう言った形で、時々、数学(算数)、英語以外の内容も載せます。

期待しないで待っていてください。